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空気調和・衛生工学における数学の利用(1)
線形システムの基礎


加藤信介東京大学生産技術研究所 正会員
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キーワード:数学(Mathematics)、線形システム(Linear System)、重ね合わせ(Combination)

 空気調和・衛生工学、建築環境工学の理解と応用に 関し、数学が強力な役割を果たすことに説明の要はな い。しかしながら、これを理解し、使いこなすことは それほど容易なことではない。本講座では、建築環境 工学や空気調和・衛生工学にかかわる者が日常的に使 用する、もしくは目にする数学手法に関して、その基 礎を空気調和・衛生工学に関する実例に沿って解説を 行う。講座は、8回を予定している。線形システムの 紹介から、線形方程式の解法、微分方程式の解法、 フーリエ解析の基礎、確率統計論までのそれぞれの基 礎的事項をカバーする予定である。第1回の本稿で は、システム(系)の概念と線形システムの基本的な概 念を解説する。

はじめに

 空気調和・衛生工学、建築環境工学の理解と応用に関 し、数学が強力な役割を果たすことに説明の要はないであ ろう。しかしながら、数学記号を見ただけで恐怖や嫌悪感 を抱いたり、眠くなったりする者は少なくないであろう。 数学が工学における強力な道具であることと、その理解に 関して少なくない障害があることは、多くの建築環境工学 に携わる者や空気調和・衛生技術者の実感するところであ ろう。本講座では、8回に分けて空気調和・衛生工学で一 般的に利用される数学の基礎知識をなるべくわかりやすく 解説する。ただし、わかりやすさを優先したため、数学的 に厳密な記述がなされていない箇所も多い。さらにいえ ば、物理的直感性を重視し、誤解を招かない範囲で数学的 な論理性をおろそかにしたところもある。これらルースな 記述に関しては、読者諸兄のご寛恕(じょ)をお願いする次 第である。
 各回で予定している内容は以下のとおりである。
 第1回 線形システムの基礎(今回)
 第2回 線形代数の基礎
 第3回 微分方程式の基礎
 第4回 フーリエ解析の基礎
 第5回 周波数応答関数とインパルス応答関数の基礎
 第6回 ベクトル、テンソル解析の基礎
 第7回 確率・統計学の基礎
 第8回 多変量解析学の基礎

1.入力と出力のあるシステム(系)

 工学の基礎は、"システム(系)"の概念に集約されている と主張することはいい過ぎであるが、そのようにいいたく なるほど、工学の理解と展開には"システム(系)"の概念が 有効である。"システム"はしばしば"系"とも称されるが、 ここではシステムという言葉を主に使う。工学は、自然科 学の有用な原理を利用して、環境のなかで人が欲する機能 (目的)を実現することである。工学で実現される機能は、 人やその周囲環境からの働きかけに対し、その状態量や出 力(外部への働きかけ)が調整されて目的とされる機能が実 現される。工学で実現される機能のみならず、自然現象や 人間社会におけるさまざまな事象は、他の事象とは区別さ れる固有の特徴を持つまとまりを持っている。これらのま とまりは、その周辺の広義の環境(単純には、そのまとま りの外部)のなかにあって、固有の入力や外乱により、固 有の出力や応答、外部への働きかけを生じている。
 1.1 実現象と情報
 工学で実現される機能には、自然現象で生じているよう な物理的、化学的、生物的な"実際現象"に対するものと、 物とは遊離した"情報"に対するものの二つに分別すること ができる。実際現象は、自然科学の物理法則、化学法則な どに支配されており、我々の周囲で常に実物として実現し ているものである。これに対し情報は、このうような実際 現象とは無関係に、"人の頭のなか"や"紙の上に書かれた 記号"や"意味づけられた音声"やコンピュータ回路内の"電 気信号"、テレビ塔から発信された"電磁波"、生体内での "ホルモンの伝達"などといったさまざまな形で存在する。 実現象を情報の世界に対応づけ、実現象を情報の世界で仮 想的に再現することはよく行われる。
 机の上にガラスのコップがあるとしよう。机の上のコッ プが何らかの理由により、床に落ちて割れたとしよう。こ れは、実現象で何度でも再現することができる。これをま た、仮想世界、情報の世界で再現することも可能である。 机の情報、コップの情報、それぞれの位置の情報が、初期 状態から仮想の時間経過に伴い位置を変え、コップが床位 置に達してその状態量を変えて、周辺に破片が散らばる情 報に変化する。仮想世界で実現象を仮想に再現すること は、完全に細部まで再現できるか否かに問題はあるが、そ のおおよそを再現することは常に可能である。人の頭のな かで想像することもできるし、コンピュータのなかでこれ を情報として再現することもできる。現在、TVや映画の 世界では、CG(コンピュータグラフィック)により実現象 の実写ではなくコンピュータなどの情報処理機械で情報処 理により再現された映像が、度々、使用されていることを 思い出して欲しい。実現象で生じるであろうことは、情報 として情報の世界いわゆる概念の世界で再現することが可 能である。
 物理現象などの自然現象を記述する数学式は、この情報 世界(概念世界)のなかで実現される物理現象を直接支配し ていると考えることができる。我々は、実際に実現象を操 作して、必要な機能を実際に実現することが可能である。 材料を購入してきて加工し、機能を実現する道具(機械)を 作成し、これを作用させて機能を実現させることができ る。同様のことを、実物や実態を伴わない情報(概念)のみ の世界のなかで再現することができる。すなわち、この情 報の世界は設計者の頭のなかで、あるいは設計図書のなか で、あるいはノートの記載された数学式の展開のなかで、 あるいは.情報処理のコンピュータのなかで再現すること が可能である。
 一般に、実現象が情報の世界に関係づけられたとき、そ の情報量は必要とされる機能に沿ったものだけが選択さ れ、重要でない情報は落とされる。保温材があったとしよ う。機能の実現として、保温の役割を担う保温材は、実物 が主体となる実世界においては実体を持つため、保温の役 割を担うために必要な材の厚みや熱伝導率などの物性値の ほか、表面の色、質量、材料としての可塑性、材料を構成 する原子や分子の種類など、さまざまな性質を持ち、対応 する情報量を有する。しかし、情報が主体となる概念の世 界では、保温という機能の実現に必要な情報は、まさしく 保温材の厚みと熱伝導率だけである。他の情報は、総合的 な機能、例えば、出来上がりの見栄え、耐久性、施工性、 環境安全性などの観点から必要にはなるが、保温という機 能の実現に限れば、情報としての価値はほとんどない。実 物が主体となる実世界で、保温という機能を実現するた め、材料を購入して施工し、その保温性を確認して、満足 すべき性能が得られなければ、他の材料を手当てして施工 と検査を繰り返し、保温という機能を実現することも可能 である。原始の時代に知識という情報のストックを持ち得 なかった原始人であれば、こうした実世界のみの試行錯誤 による機能の実現も、止むを得ないであろう。しかし、十 分な情報ストックを蓄えた現代人が、最初から実物を主体 とする実世界でこのような試行錯誤を行うのは時間と労 力、材料のむだというものである。情報を主体とする概念 の世界、例えば人の頭のなかで、この試行錯誤を繰り返 し、必要な材料の厚みと熱伝導率を決定した後に、実世界 で施工すればよい。この際、保温という機能を実現する目 的のために設けられた概念の世界では、保温の機能に必要 な情報は、厚みと熱伝導率だけである。それ以外の情報 は、保温の機能を実現するには不要である。情報を主体と する概念の世界では、人が必要とする機能を実現するため に必要となる情報は、実世界で実物が持つ情報量に比べて けた外れに少なくて済む。情報量は少ないほうが、情報 (概念)の世界での処理が容易である。工学では、必要な機 能の実現を実世界で行うために、まず、人の頭のなか、コ ンピュータの回路のなか、紙の上での数学記号の記述な ど、その形態はさまざまにあり得るが、概念という情報処 理の世界のなかで必要最小限の情報量とその操作で対応す る機能の実現を確認し、その後に実世界でこれを実現する 過程を踏んでいる。
 先に、工学で実現される機能に限らず、自然現象や人間 社会におけるさまざまな事象は、他の事象とは区別される 固有の特徴を持つまとまりを持っており、これらのまとま りは、その周辺の環境のなかにあって、固有の入力や外乱 により、固有の出力や応答、外部への働きかけを生じてい ることを述べた。このまとまりの単位がシステムである。 上記の例で挙げた保温という機能も一つのシステムを構成 する。保温材の内側、外側の温度を入力とし、保温材の内 部を伝導する熱流や内部の温度分布を出力とするシステム を考えることができる。入力である保温材境界での温度差 が大きくなっても、出力である保温材内部を貫流する熱流 が小さいシステムは、保温システムとしての機能上の性能 がよいと判断される。実際現象、実際のものに対するシス テムは、常に情報を主体とする世界、すなわち人の頭のな かや、コンピュータのなか、設計図書やノートの上で再現 される、概念の世界のシステムに対応させることができ る。
 1.2 因果則
 実際に生じる多くの現象は、偶発的に生じるのではな く、原因があって結果が生じる因果則に沿って生じてい る。この因果則は、人がさまざまな現象を予測し、これを 制御するうえで極めて有用となる。因果則に支配される事 象に関しては、望ましい結果が得られるように原因に働き かけこれを変更することにより、その結果を制御すること ができる。またたとえ、原因が人に都合がよいように制御 できなくとも、その原因を詳しく知ることができれば、因 果則に沿ってその結果を予測し、これに対して防護策を講 じることにより、望ましくない事態が最小限で済むように 備えることも可能となる。
 工学は、自然現象を支配する因果則を人の望む機能の実 現に沿って利用する学問である。因果の関係を十分に理解 し、これを都合よく利用することが工学者に求められてい る。この因果の道筋は、図-1に示すように、概念的に簡 単な入力と出力のあるシステムで表すことができる。
 ここで、原因となるものは物理法則などの初期値、境界 条件に対応し、因果律は物理法則そのものに対応、結果は 初期値、境界条件を与えられて物理法則により定まる状態 に対応する。保温材を貫流する熱伝導を例とすれば、原因 は保温材の表裏面の温度差もしくは保温材表裏面から保温 材内部に貫流する熱流であり、因果律は熱流に関する物理 法則であるフーリエ則となる。システムの出力である結果 は、保温材内部の温度分布および熱流分布である。
 工学は、さまざまな物理法則、化学法則などの因果律の システムにおいて出力である結果が人の望む目的にかなう ように、操作可能となる入力であるこれら法則の初期、境 界条件を適切に変更、整備し、目的とする機能を実現する ものであり、いわばこの因果律を逆にたどる学問であると 定義できる。
 システムは、因果律で表される現象を表すことができる が、因果律の働かない現象や明確でない現象も表すことは 無論である。物理現象を表すシステムにおいて、入力と出 力の関係は必ずしも固定されたものではない。物理現象の 因果律を表すシステムの例では、入力が物理現象の初期、 境界条件、出力はその初期、境界条件で規定される物理性 状であったが、入力であった境界条件そのものをシステム と考え、そのシステムのなかで、入力と出力を考えること もできる。物理法則の境界条件は、完全に任意、すなわち 制約がないわけではない。一定の制約条件が働く境界条件 の下でのみ、その物理現象が生じることは多い。物理現象 を表す因果律のシステムで入力となる境界条件そのものの なかで.種々の物理量はこの制約のある境界条件を満たす ために一定の関係を持っている。これらの物理量は、この 関係を満たすため、一方を定めれば、他方がその制約条件 で定まる入力、出力のあるシステムを形成する。
 保温材の例を考えてみる。高温側の保温材表面から低温 側の保温材表面に伝導する熱流を考える。境界条件を入力 として内部の温度分布、熱流分布を出力とする熱伝導に関 する因果律のシステムでは、これら保温材表面での温度お よび熱流は、内部の温度分布、熱流分布を定める入力条件 である。一般に材料内を貫流する熱流は、フーリエの法則 により温度こう配(材料内温度の空間分布のこう配)と材料 の熱伝導率に比例する。フーリエの法則は、保温材内部で も成立するが、保温材の境界面である保温材表面でも成立 する。すなわち、保温材表面(厳密には保温村内部で限り なく保温材表面に近い場所)でも、このフーリエ則は成立 し、熱流は材料の熱伝導率と温度こう配に比例する。保温 材表面の熱流と表面温度の関係は、図-2(a)に示されるよ うに、材料表面の温度を入力としその極近傍の材料内部で 形成される温度と差(こう配)で熱流が自動的に定まると考 えることもできるが、図-2(b)に示されるように、熱流を 入力とし保温材内部で限りなく保温材表面に近い場所で形 成される温度との差(こう配)により表面温度が定まると考 えることもできる。その意味で、境界面で生じる熱伝導を 表す図-2のシステムの矢印は必ずしも、因果の道筋を表 すものではない。



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